先人木を植えて、後人その下に憩う。
何時誰が言われた言葉なのかは覚えていません。
木を植えた人と木の下に休む人との間に
接点があるのか、ないのかはわからないのですが
もし接点がないとしても、ここに時間を隔てた話
が存在しないとは思えないのです。
先人:「まだ見ぬあなたのために、いつか訪れるかも
しれないあなたのために木を植えておいた。
どうか疲れた身体を休めていって欲しい。」
後人:「ありがとう、この木の下はとても安らかな
気分となり心地が良い。」
このような会話があるのかないのかは別として
先人が後人のために木を植えるのは、自分の利益や
損得だけを一番に考えるからではありません。
まだ見ぬ未来やまだ会ってもいないあなたのためです。
時世は今の自分への損得だけで物事が動いていないだろうか。
すぐに結果が出て、自分にとって利益があるものだけを
選択するという安易な考え方が蔓延していないだろうか。
今すぐには結果は出ないかもしれないが、
いつか世のため、人のためとなり、まわりに普及していく
ものにこそ、本当に価値ある必要なものが隠されていない
だろうか。そんな思いで今日も宏和苑という地に
未来を夢見て木を植えていくという心意気で働きたい!!